エロ記事書いて30年 レジェンドライターの半生【昭和編】

2025-08-07

 思春期の頃、 “ユーザー” として「昭和のエロ」にまみれながら “性への目覚め” を果たし、その後『Hot-Dog PRESS』で「SEX・恋愛マニュアル記事」を量産しながら「平成のエロ」を突っ走る

 ──そして、還暦を迎えた今なお「令和のエロ」を俯瞰から見守りつつ、さまざまなメディアで “性にまつわる情報” を精力的に発信し続ける山田ゴメスさん。

 そんなレジェンドライターに、紙媒体を中心とした「エロの昭和・平成・令和」を振り返っていただきました。

 まずは山田ゴメスさんが思春期真っ只中だった「昭和編」から。

この記事を書いた人

ゴメス

山田 ゴメス ライター&イラストレーター

年齢非公開のアラカン。大阪府生まれ。関西大学経済学部卒業後、大手画材屋勤務を経てフリーランスに。エロからファッション・学年誌・音楽&美術評論・人工衛星・AI、さらには漫画原作…まで、記名・無記名、紙・ネットを問わず、偏った幅広さを持ち味とするライター兼コラムニスト&イラストレーター。若者男性向け総合情報誌『Hot-Dog PRESS』(講談社)の「SEX・恋愛マニュアル記事」を休刊(2004年)までの約10年間担当し、その他にも多くのエロ・グラビア雑誌や書籍の創刊、制作に携わる。

この人の記事一覧
登場人物アコーディオン
  • しょうた

    しょうた

    なんだか抜けているサラリーマン(28歳)。同棲中の異性のパートナー(あや)がいる。ネットの情報に惑わされがちで、ものごとをあまり深く考えていない。

  • あや

    あや

    しょうたと同い年で(28歳)、小学校の先生をしている。中高女子校で性の知識には疎い。しょうたと同棲している。普段は穏やかだが、機嫌が悪くなると毒舌気味に。

    今ほど潤沢ではなかった「昭和」のズリネタ

    しょうたあや はじめまして。今日はいろいろと深堀りしたいです!よろしくお願いしま〜す!!

    ゴメス うん、よろしくね。ぼくの人生は基本ノーガードなんで(笑)、遠慮なく何でも質問してください。

    山田ゴメスさんの画像

    あや では、いきなりなんですけど…ゴメスさんって、思春期の中高生時代はどんな男の子でしたか?

    ゴメス ん〜〜〜っ…(※1970年代から80年ぐらいまでは)いたって普通の男の子だったんじゃないかな。特にヤンキーだったわけでもなく、いじめられてたわけでもなく…。高校時代は(硬式)テニスばっかやってる目立たない体育会系男子だったと思う。

    しょうた へ〜っ…でも、「思春期のムラムラ」はスポーツだけじゃ発散できなくないですか?

    ゴメス だね(苦笑)。ぼくの高校は男子校だったから性欲はたぶん人一倍強かったんじゃないかな。しかし、高校の3年間でカノジョがきたことは一度もなかったし…もちろん、キスさえしたこともない正真正銘の童貞だった(遠い目で)。

    川沿いで遠くを見ている山田ゴメスさんの画像

    しょうた じゃあ、その「ムラムラ」をどうやって発散してたんですか?
    ゴメス そりゃあ、毎日毎日ひたすらオナニーだよ。ただ、ズリネタ*¹にはいつも苦労してたよね。

    あや なんで「苦労してた」んですか?

    ゴメス まず、「エロ本」を入手するのが大変だった。中学生(1970年代半ば)のときの夜のお供は、父親の隠し場所が巧妙だったのか、単にカタブツなだけだったのか…(父親が)毎週定期購読していた『週刊新潮』で、当時連載していた宇能鴻一郎*²さんの官能小説とその挿し絵──これオンリー!

    しょうた そんだけ!? さすがライターさん! 少年の頃からものすごい妄想力だったんですね(笑)!!

    ゴメス ははは…。で、高校生になったら…やっぱり、もっともっとわかりやすくて過激なネタでヌキたくなるわけじゃん?

    だけど、エロ本もそれなりに本格的なヤツになれば(当時で)数千円もしたから高校生の小遣いではキツかったし、売っているのは自動販売機(※昼はマジックミラーで中が見えないようになっていた。もちろん18禁)!

    エロ本 自動販売機

    ゴメス 夜中、部屋の窓からこっそり抜け出して、キョロキョロと人目を盗みながら “ソイツ” を買うのは、かなりデリケートで難易度の高い作業だったんだ。

    しかも、そんだけの労力をかけて入手したにもかかわらず、あの頃のエロ本はクオリティもひどかった。こうした劣悪な環境下で、みんながなけなしの小遣いを出し合って「自販機エロ本」を購入し、 “ソイツ” を一日ずつ回し読みしてたわけさ。

    その頃に流行った「バターで擦れば女性器の黒塗り部分が消える」って都市伝説を盲目的に信じながら、ね。数回目に回ってきたエロ本を開いたら、バターの匂いがプンプンしちゃって…(笑)

    ウブな男子高校生にとっての救世主『EIGA NO TOMO』

    しょうた まだ、アダルトビデオとかはなかったんですか?

    ゴメス なかったね。あったとしても、当時テレビは「一家に一台お茶の間に」って時代だったから、動画でオナニーするのは(自分の部屋にMyテレビがあるような)よほどのお金持ちの子供じゃないと絶対に無理!

    11PM テレビ番組

    ゴメス 両親が寝静まってタイミングでワイドショー型深夜のお色気番組『11PM』*³をこっそり観て、ビクビクしながら股間をまさぐるのが精一杯だった。

    あと、あの頃のエロムービーで主流だったのは『日活ロマンポルノ』をはじめとする「ポルノ映画」「18歳未満はお断り」なのに、学校が終わってすぐ公衆トイレで学生服から私服に着替え、付けヒゲまでくっつけて(本当!)成人を装いながら映画館に入場していた高校生もいっぱいいたよ。

    しょうた ゴメスさんも行ってましたか?

    ゴメス いや! 結局ぼくは一度も行ったことがない。当時は真面目な高校生だった…ってのもあるけど、「映画を観ながらその場でリアルタイムのオナニーができない」(※たいがいは館内のトイレで “事” を済ませていた)のが、どうも馴染めなくて…。

    そんななか、旺盛な性欲に日夜悩むぼくら思春期の少年たちを慰めてくれた救世主──それが『EIGA NO TOMO』*⁴だったんだ!

    EIGA NO TOMO 映画の友

    あや 「えいがのとも」? 「映画の友」…でいいの?

    ゴメス うん。パッと見は何となく高尚な映画情報誌っぽいタイトルでしょ? なのに、中身は「ポルノ映画」専門の情報誌(笑)。

    しょうた なるほどぉ! けどさぁ…「救世主」って表現は、ちょっぴりオーバーなのでは…(笑)!?

    ゴメス そんなことはない!大っぴらに本屋さんのカウンターに持って行けるのは、篠山紀信さんの「激写シリーズ」で名高い『GORO』*⁵がせいぜいだったぼくらにとって…アレはまごうことなき「救世主」だった(※やや強めな語調で)!! 

    篠山紀信 激写 GORO

    『EIGA NO TOMO』はね…表紙が「アイドル系タレントが着衣のままカメラ目線で満面の健康的な笑顔をふりまいている」って体裁だったし…だから、一般書店でも平積みされていたから、「エッチな本を買う」って罪悪感、後ろめたさがグンと軽減されたんだ。

    「エートモ」(※←『EIGA NO TOMO』の略語。年頃男子の間では隠語としてかなり浸透していた)のおかげで「(未成年でも)購入のハードルが劇的に低くなった」ってことだよね。

    さらに中身は(当時の)名だたるポルノ女優──原悦子さんだとか東てる美さんだとか風祭ゆきさんだとかが、がんがんポルノ男優と絡んでいて…。

    (ポルノ映画と同様) “結合部分” こそ巧みに隠されている擬似(本番)だったけど、「自販機エロ本」と比べても “モデル” のレベルは飛躍的に向上して…あの頃のウブなぼくらには充分に満足できる一冊だった。

    ベンチに座って笑顔でインタビューに答える山田ゴメスさんの画像

    しょうた そーなんだ…。ネット検索したらモノの数秒で、トップランクのセクシー女優が出演する無料の無修正ガチ本番動画にたどり着ける我々の時代では、信じられないですね!?

    ゴメス そうなんだよ! ぼくらの思春期は、良質なズリネタ一つに出会うだけでも、あらゆる労力を惜しまざるを得ない時代だった。そして、そんな時期にじわじわとちまたで台頭し始めてきたのが、さっきしょうたくんが言ってた「AV」こと「アダルトビデオ」なんだ。

    豊富なネタが大量満載だった「フルーツ系通信」

    しょうた 「アダルトビデオ」が、気軽に独りで楽しめるようになったのは、いつ頃から…なんですか?

    腕を組みながらインタビューに答える山田ゴメスさんの画像

    ゴメス 1975年にソニーが「ベータマックス」を、1976年にビクターが「VHS」を販売し、1981年に日本ビデオ映像が『ビニ本*⁶の女・秘奥覗き』『OLワレメ白書・熟した秘園』を発売したのが「アダルトビデオ」の第一号と言われているんだ。

    だけど、ビデオデッキが一人一台レベルで普及したのは…たしか80年代の中盤頃だったから(※一般家庭のビデオデッキ普及率が10%を越えたのは1981年だった)、ぼくがAVの “お世話” になり始めたのは大学卒業後、(就職して)東京で一人暮らしを始めて2〜3年経ったあたり(※1986年〜88年頃)…だったかな?

    あや アダルトビデオの “お世話” になる前の「東京で一人暮らしを始めて2〜3年」は、どうしていたんですか? 上京したばっかだと、パートナーもいなかったのでは…??

    ゴメス 鋭いっ! 上京してからビデオデッキを購入するまでに多少のタイムラグがあったのは、あやさんのご指摘どおり!! あの頃はまだ新米社会人だったからお金も全然なかったし…。

    その時期に愛用していたズリネタは「オレンジ」だとか「アップル」だとかの、いわゆる「フルーツ系通信」*⁶──アダルトビデオ専門の月刊情報誌さ。

    オレンジ通信 アップル通信

    あや なんですか、それ?

    ゴメス これらの雑誌にはね…100本以上にもわたるアダルトビデオの作中画撮がてんこ盛りに掲載されていたんだよ。

    前提としては、コレを読んで気に入ったAVをユーザーに購入してもらうという “宣伝” が(版元側の)目的だったんだろうけど、ぼくはこの切手大ほどのサイズの画撮で “処理” がほとんど完結しちゃってた。そういう使い方をしていた男子は、ぼく以外でもけっこう多かったと思うよ。

    「どの子に行こうか」と、デリヘルのホムペを閲覧してる最中にムラムラしてしまい、結局は “ソイツ” でヌイておしまい…ってパターンと一緒だよね(笑)。

    また、ぼくの人生を大きく変えたきっかけになったのも、この中の一冊──『さくらんぼ通信』だったんだ。

    *¹ズリネタ=オナニーをするためのネタ、「オナネタ」のこと。「センズリネタ」の略称


    *²宇能鴻一郎=日本を代表する官能小説家。「あたし、〜なんです」という女性の一人称モノローグを活用した独特の文体は、スポーツ新聞・夕刊紙・週刊誌への連載で一時代を築いた。2024年に死去。享年90歳。


    *³『11PM』=1965年〜1990年まで日本テレビ系列で放送されていた日本初のワイドショー型「深夜お色気番組」。大半が生放送で、正式名称は『WIDE SHOW 11PM』。カルーセル麻紀が当時の性風俗産業をルポする「裸の報告書」や、「うさぎちゃん」と呼ばれた女性リポーターが全裸に近い格好で数々の温泉を紹介する「秘湯の旅」…他、多くの名物コーナーを輩出した。


    *⁴『EIGA NO TOMO』=近代映画社が1976年から1986年にかけて出版していたポルノ映画専門の映画情報誌


    *⁵『GORO』=小学館が1974年から1992年にかけて出版していた総合男性誌。篠山紀信撮影のグラビア企画「激写シリーズ」では、山口百恵・水沢アキ・石川ひとみ・松本ちえこ…他、名だたるアイドルが際どい水着姿を披露していた。


    *⁶ビニ本=1970年半ば頃から一世を風靡したポルノ写真本のこと。そのネーミングはビニール袋で包装され、店頭では中身をみることができなかったことに由来する。1980年だ半ば頃、アダルトビデオの普及に伴い、急速に衰退。ちなみに、性交シーンが無修正で掲載されていたものは「裏本」と呼ばれ、1万円以上もの値がついていた。尚、ゴメス青年が上京して初めて足を運んだのは、当時「ビニ本の聖地」とされていた神保町の『芳賀書店』だった。


    *⁷フルーツ系通信=この代表格だった『オレンジ通信』は、1982年に東京三世社から創刊された。


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